※どちらからも出入り可
※どちらからも出入り可
※GPXファイルはHikingbookなどのアプリで開いてください
「出関古道」はかつての隘勇線(先住民生活圏との境界に設置した防御ライン)です。また大湖、三義、銅鑼、公館などへ向かう際の重要なルートでした。出磺坑から関刀山へとつながるため、現在人気のあるルートは「薑麻園」を中心とし、北側の「十份崠古道」と南側の「出関古道聖関セクション」に分けられます。初夏の頃は雪のように舞う白い油桐の花が見られ、秋、冬には山々が霧に包まれる光景が見られます。冬には「薑麻園」で身も心も暖まるショウガ湯を一杯。一年中いつでもそれぞれの美しさと楽しさがあります。
先ずはオンラインで映像のなかの「出関古道」を歩いてみましょう!
- 樹木が密生しているため森林浴にもってこいで、木陰を涼しく歩ける
- 標高が比較的高く見晴台や展望台も多いため、山々と周辺の町並みが見渡せる
- 往時は要路だったため道沿いに多くの史跡が残る
- 古道中にはトイレがありませんので、「十份崠茶亭」、「薑麻園ビジターセンター」、聖衡宮でトイレをお済ませください
- 林の中を通るため湿って滑りやすい部分もあります。トレッキング杖など補助具の持参をおすすめします
- 環境保護は一人一人の責任です。ゴミはお持ち帰りください
- 蚊や虫が多いので虫除けスプレーなどをご用意ください
「出関古道」は北から南へと「出雲古道」、「出関古道雲崠セクション」、「出関古道十份崠セクション」、「出関古道聖関セクション」に分かれています。総延長は約20キロです。産業道路が十分に発達したため、この道は廃れてましたが、近年、苗栗県政府が全長約6.5キロの「十份崠セクション」と「聖関セクション」を修復しました。ルート上には「薑麻園」を起点とする近距離、中距離、遠距離のいつくかの折り返し点が設置されているので、自身の体力に応じて、さまざまなルートを体験することができます。
古道はほとんどが稜線上にあり、勾配の変化が大きく、一部は石敷きの階段になっていますが、縄を伝って登るようなところもあり、トレッキングには技術が必要で、チャレンジングなルートです。
古道上にはたくさんの指標、キロポスト、地図案内板などが設置されているため、現在地と残りの距離が簡単にわかります。解説板もたくさんあるので、ガイドの案内がなくても、この古道の自然環境や生態系に関して初歩的な知識を得ることができるでしょう。
薑麻園から北へ向かうと「十份崠セクション」を進むことになります。薑麻園展望台を過ぎると山林から虫の音や鳥のさえずりが聞こえ始め、さらに進むと林間の未舗装路に入ります。チョウや昆虫を間近で眺めながら、樹林の美しさに囲まれ森林浴。木々が放つフィトンチッドを深呼吸しましょう。その後は地形が整った路面になり、最後に「十份崠 茶亭」に到着です。
薑麻園から南へ向かえば「聖関セクション」に入ります。「聖関セクション」は聖衡宮から関刀山までのルートで、短いですが、急斜面と自然の山道が続くので、脚力に自信がある方に向いています。
関刀山は草排山、挿旗崠とも呼ばれ、「台湾小百岳」の第36号です。「聖関セクション」の出口付近にある関刀山三角点は、「出関古道」の最高点でもあります。ここでの写真撮影は絶対に外せません。
「出関古道」は稜線上を進みます。西側は多くが国有林地。植物の種類が特に豊富で、竹林、スギ、カントンアブラギリなどが繁茂しています。濃密な木陰のトレッキングは、夏の盛りであってもさわやかな微風が心地よいでしょう。
「十份崠セクション」には奇妙な岩壁があります。風化を受けた岩が、東坡肉(豚の角煮)そっくりの見た目であるとして、古道における目印のようになっており、「東坡肉岩壁」と呼ばれています。
新百二份山は旧称を「榕樹崠」といい、山頂の図根三角点は「百寿亭」脇にあります。百寿亭は折り返し点の付近にあるため、ちょっと一休みしてから先へ向かうのにちょうどいいポイントです。
雲洞山展望台は5階建てほどの高さがあり、360度開けた抜群の眺めが楽しめます。違う方向を眺めれば、違った山並みが見られ、多くの写真愛好家が日没と雲海のベストショットをここで狙っています。
展望台を上階へと上る際には、各フロアに別々に祀られた観世音菩薩、孔子、文昌帝君などの神像が目に入るでしょう。一階にはテーブルとイスがあり、座って休憩をとることができます。
トレッキングの後は「薑麻園ビジターセンター」で一休みしながら、あったかいショウガ湯をどうぞ。ビジターセンターには農家直売の特産品が並び、地方産業の発展に貢献しています。「関聖帝君生誕日」、「桃李祭り」、「薑麻祭り」などに合わせてイベントも行われ、エコツアーに彩りを添えています。
「薑麻園」内の聖衡宮は客家の民の多くが信仰する関聖帝君を主祭神としており、関聖帝君は恩主公とも呼ばれます。聖衡宮の前身は宣化堂で、1932年に建立されました。当初は、邱明徳が自宅に設置した神壇でしたが、信者が増えたため、地方の有力者が廟の建て替えを発起し、邱明徳は自宅と土地を寄贈しました。それが現在の聖衡宮です。
「出磺坑」では1861年石油の産出が発見されましたが、当時は硫黄と間違えられたため、「出磺坑」、または「硫黄窟」、「磺窟」と呼ばれています。油田は日本統治時代になって大規模に採掘され、周辺は繁栄しましたが、台湾が中華民国となる頃には資源が枯渇し、徐々に衰退していきました。後に中国石油公司が「台湾油礦開発陳列館」を設置し、見学できるようになっています。