小道をたどって港尾コミュニティに入ると、ひときわ目を引くのが順天宮です。香炉から絶えず煙が立ち上り、夕暮れ時の廟前広場はいつもにぎわっています。ここでは関聖帝君(関羽)を主神として祀り、かつて開拓民たちが集まったこの土地を守り続けています。そして順天宮の盛んな信仰と七崁武術の伝承には、深い歴史的なつながりがあります。
その起源は清朝末期にさかのぼります。盗賊や外敵から身を守るため、崙背、西螺、二崙一帯の25の村が連携して7つの防衛組織を結成し、これが「七崁」と呼ばれるようになりました。彼らは故郷から武術師の廖金星を招き、村人たちに武術を教えるための「金獅連陣武野館」を開設しました。この武術は「開嘴獅」の獅子舞の型を取り入れ、港尾村で独自に発展し、やがて「七崁武術」として地域に根づきました。「武野館」といっても固定の武道場があるわけではなく、夕食後になると人々が順天宮の廟前に集まり、獅子舞や太鼓の練習をしていたのです。
現在、七崁武術は実戦的な防衛術から地域文化資産へと形を変えました。廟前で武術を練習する風景は今も途絶えることなく、時代のリズムに合わせながら、若者たちと地元の師匠たちによって受け継がれています。